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 その国は、病んでいた。

 景気は低迷し国民は皆、自信を失っていた。政府は税金を投入して公共事業を拡大し、破綻しそうな金融機関には“公的資金”という言葉で税金を与え救済を行ったが、それは、幹部の退職金に変わり、経営者のモラルを失うことに繋がっていった・・・・そう、経営者からすると、『何かあっても、国民をいわば“人質”にしているのだから、国が助けてくれる』と考えるようになってしまったのだ・・・・。そして、国の財政は一層悪化していった。
 
 政府は、なんとか財政を立て直そうと財政支出も削減しようとした。しかし、国会議員達の激しい反対にあった。
 「弱者を切り捨てるのか?!」
 「景気を、国が支えなくてどうするんだ!」
 「地方にも、もっと立派な道路や施設を!!」
 「この国は、この国の国民だけのものではない! 在住外国人の子供にもこども手当を!!」
 政府は、“財政の改革を検討する”といって、問題を先延ばしにした。結果、財政は一層悪化していった。政府は、最後の切り札を使うしかなかった。そう、消費税の税率アップだ・・・・。
 一時的に税収は増え、財政は回復した・・・ように見えた。しかし、たくさんお金の入った“財布”を持つと、人は気が大きくなるものだ・・・国の各省庁は、入ってくるその年の予算をなんとか使いきろうと無駄な事業を続け、国会議員たちは選挙のためのバラマキ政策を続けた・・・、結果、国の負債は一向に減らなかった・・・・そして・・・・。











税制改革

(前篇)



作:逃げ馬




 




 「フ〜ッ・・・・」
 その朝、僕はいつものように会社に向かっていた。街を行き交う人達は、俯き気味に足早に歩いている。ここは街の繁華街のはずだが、シャッターを閉めた店舗や、何も書いてない真っ白の看板がやたらと目立つ。街には、全く活気が感じられなかった。喫茶店にも、ファーストフードの店にも、駅の立ち食い蕎麦屋にすら、入っている人はほとんどいない。
 僕はため息をつくと、会社の入っているビルに入っていった。ビルの前には、“東西電器”と彫られた立派な看板がある。この東西電器は、この国の電機業界でもトップレベルの企業だ。そして、僕は立石和也、23歳。この東西電器の総務部に勤務している。
 僕は、オフィスに入った。
 「おはようございます!」
 挨拶をすると、
 「やあ、おはよう!」
 「おはようございます!」
 オフィスにいるスタッフ達が、元気に挨拶をしてくれた。みんなの着ているスーツや服を見ても、以前の一流企業・・・東西電器の社員の垢抜けたイメージはない。僕もそうだが、部長や課長、場合によっては役員クラスでも、街の紳士服量販店や、ショッピングセンターで“一着一万円”のスーツを買い。女子社員達は、以前に買った服を上手に組み合わせを変えておしゃれをしている。そう・・・・僕達は、必死に“いつもと変わらない”生活をしようと頑張っていた。
 「おい・・・テレビを見てみろよ・・・・」
 課長の言葉に、僕達はテレビに視線を移した。そこには、総理大臣の記者会見の様子が映っていた。
 『政府の努力にもかかわらず、この国の財政は好転していません・・・』
 総理大臣が、淡々と話している。僕達は、その後に来る一言が想像できた。
 『・・・そのため、われわれも努力を続けますが、国民の皆さんにも痛みを分かち合っていただきたい・・・・わが国は、新たな財源の検討に入っています。この財源を認めて頂ければ必ずわが国は・・・』
 「ハア〜・・・また増税かよ!」
 僕の前の席に座っている田代が呆れた様に言った。周りのスタッフ達を見まわしながら、
 「もう、消費税は40%・・・それに加えて、年金のお金や所得税が予め給料から天引き。車に乗ってガソリンを入れに行けば、ガソリン税や、この前からは“環境税”までとられているんだぜ! それだけとって、まだ足りないなんて・・・・」
 田代がクスクスと笑っている。
 「性質の悪い女に貢いでいるようなもんだな・・・・でも、女は別れることが出来るけど、国は別れようがないもんな!」
 「ちょっと、田代くん!」
 「性質の悪い女って、どう言うこと?!」
 田代が、総務部の女子社員。来栖さんと川村さんに詰め寄られている。
 「いや・・・その・・・君達のことを言ったんじゃ・・・・痛てててて・・・・」
 田代が、二人に耳を掴まれながら給湯室に連れて行かれた。いつものことだが、一言多い田代と、女子社員二人のやり取りを見ていると、いい気分転換にはなる。僕は、コンピューターのディスプレイに視線を移すと、いつものように仕事を始めた。



 ここは、その国の首都、政治の中心地にある料亭だ。
 料亭の女将に案内されて、きちんとスーツを着た壮年の男がやってきた。女将は部屋の入り口で腰を落とすと、
 「・・・お連れ様がお着きです・・・・」
 障子をスルスルと開けると、紋付袴を着たでっぷりと太った老人が膳を前にして座っていた。
 「お待たせしました」
 部屋に入って壮年の男が、老人に向かって頭を下げて挨拶をした。老人は、チラッと壮年の男を見て、
 「うん・・・・」
 自分の前に置かれた膳を、手で指し示した。女将が一礼して障子を閉めると、壮年の男は、膳の前に座った。
 「かなり・・・手を焼いているようじゃの・・・・」
 老人が笑った・・・・壮年の男の表情が強張る。老人は、政権与党の長老・・・・金田権太郎だった。金田は、既に年齢は90歳を越えていたが、これまで、大臣を歴任し、高度成長期には総理大臣も勤めていた。
 「いえいえ・・・・」
 壮年の男が頭を下げた。彼はこの国の総理大臣の大橋次郎。“永田町の虎”と言われて政権についたが、永田町を生き抜く方法と、この国を正常な状態にするのは、全く訳が違っていた。最初でこそ、彼は自分でも政策を考えていたが、今では彼の周りのスタッフ達に政策を考えさせているような状態だった。
 「今年も・・・税収は厳しいかね」
 金田が、大橋の杯に酒を注いだ。
 「ハア・・・・なかなか思うようには・・・・」
 金田が、杯に口をつける大橋を厳しい表情で見つめていた。
 「君・・・・だからと言って、それで公共事業を止めてはいけないよ」
 金田は上目遣いに大橋の顔を見ている。大橋は、まるで蛇に睨まれた蛙のようなものだった。もし、金田がその気になれば、大橋の今の地位は・・・・。
 「・・・しかし、今の税収では・・・・」
 おずおずと言うと、
 「公共事業は、この国を支えるものだ。止めてはいかん! 必要なら、増税をしてでも・・・・」
 「しかし・・・・もう、税をかけるものは・・・・」
 「あるんじゃよ・・・」
 金田がニヤリと笑った。
 「いったい何に・・・・」
 大橋が膳の上に身を乗り出した。
 「・・・人間の“性”にだ・・・」
 「ハッ?!」
 大橋の想像を上回る金田の提案に、大橋は驚いて金田のシミの浮き出た顔を見つめた。
 「男性には、月3万円。女性には、1万円を納税させる・・・・」
 「しかし・・・・」
 驚く大橋に、
 「このような国の一大事じゃ・・・・それくらいは男であれば当然じゃろう・・・・命まで取られる訳ではない。戦争に比べれば遥かにましじゃ!」
 「しかし、国民は重税感に喘いでいます。もし、この案を出せば反発が・・・・」
 「それには、ちゃんとガス抜きを作ってやることじゃ・・・・そうすれば反発は起きない・・・・」
 金田が、手を叩いた。障子が開いて女将が顔を出した。
 「・・・・連れを呼んできてくれ・・・・」
 金田が、ニヤッと笑いを浮かべた・・・・。



 「なんだって?!」
 オフィスで、壁に填め込まれた大型テレビを見つめていた田代が、素っ頓狂な声を上げた。僕も、その声に驚いてコンピューターのモニターから、テレビに視線を移した。そこには、総理大臣の記者会見が映っていた。
 『わが国の財政は、現在、危機的な状態にあります。この状態を脱するためにも、国民の皆様にも、この国を支えていただきたいと思います・・・・』
 「・・・もう充分に支えているのにな!」
 田代は、椅子にもたれながら、オフィスのスタッフ達を見まわした。
 「今度は、いったい何をやるつもりなんだよ・・・・このオッサンは?!」
 『わが国国民の男性には、月当たり5万円・・・・女性には、月1万円を、“性別税”として負担していただきます』
 「「「なんだって?!」」」
 オフィスにいた誰もが、思わず声をあげてしまった。
 「これ以上・・・月に5万円も払えと言うのかよ!」
 「もう、お金なんて払えないわよ・・・・・一万円と言っても・・・・」
 男子社員も、女子社員も当惑した表情が浮かんでいる。僕の視線は、テレビに釘付けになっていた・・・・そう、何かとんでもない事が起きそうな予感がしたのだ。テレビの中では、大橋総理が机に置かれた原稿に視線を落としている。
 『・・・・これまでの税金で、生活が苦しい方もいるでしょう。また、こうなると、男であることに疑問を持たれる方もいらっしゃるでしょう・・・・そのような方のために、政府は・・・・』
 大橋総理の顔が、テレビにアップになった。
 『・・・・TS総合技研の協力を得て、性転換装置を用意いたしました・・・・』
 「なんだって?」
 「・・・今・・・なんて言った?」
 スタッフ達が呆気に取られていると、
 『・・・希望者は、これから2ヶ月の間に、各市町村に申請していただければ、各自治体に用意いたしました装置で性転換をいたします・・・・』
 「何馬鹿なことを言っているんだよ!」
 田代が興奮気味に怒鳴った。スタッフ達が驚いて、田代を遠巻きに見つめている。
 「なんで、俺達が女にならなきゃいけないんだよ・・・・仕事はどうなるんだよ?!」
 テレビでは、総理大臣の記者会見が続いていた。
 『・・・・性転換に関しては、さまざまな問題が起きると考えられます。戸籍や雇用の問題などが・・・・しかし、この件に関しましては、政府が特別法を制定し、戸籍や雇用については、万全の処置を保証いたします!』
 「・・・・保証・・・って言ったってなあ・・・・」
 田代が、僕の方に向き直って言った。
 「・・・・女になるんだろう? それはちょっとなあ・・・」
 「あら・・・・女の子も、なかなか良いわよ!」
 川村さんが、髪をかきあげながら言った。さらさらの長い髪が、掌から零れ落ちる。
 「そうそう・・・・美味しいものを食べに行ったり、お洒落をしたり・・・・その上、今度は税金も安いわけでしょう?」
 来栖さんが、クリクリの大きな瞳で僕と田代の顔を交互に見つめながら、クスクスと笑った。二人は、顔を見合わせながら、
 「「男の子をするのも、大変な時代よね〜!!」」
 「まあ・・・・確かに・・・・」
 僕と田代は、お互いに顔を見合わせながら苦笑いを浮かべた。オフィスの中にいるスタッフ達を見ると、男性社員たちは、暗い表情だったり、何か考え込んでいたり。女子社員達は、『税金がまた上がって困る』などと、お互いに不満を言い合ったり、お喋りをしていた。僕は、コンピューターのディスプレイに視線を戻した。しかし、僕の両手はキーボードの上に置いたものの、キーは叩いていない。視線もディスプレイに向いているものの、頭では別のことを考えていた。
 消費税は40%に・・・・高齢化社会が進み、社会保険料も高い・・・・いろいろな税金も、既に沢山かかっている。その上、今度は月5万円、年間60万円の税金をかけるという。
 『いったい・・・・これから先、僕達はどうなるんだ・・・・・?』
 言い知れない不安を、ここにいる誰もが感じていた・・・・。



 料亭では金田が、きちんとスーツを着た理知的な顔の中年の男と、脂ぎった顔の小太りの壮年の男と一緒に膳を囲んでいた。
 「金田先生・・・・・ありがとうございました」
 小太りの男が、金田に向かってふかぶかと礼をすると、金田の手にした杯に酒を注いだ。理知的な顔の中年男が、冷めた視線でその様子を見つめていた。
 壮年の男は、“TS総合技研”の社長の高田。 中年の男は、東都大学の経済学部教授、金田のブレインでもある早田だ。
 「先生のお蔭で、わが社は大変な利益をあげることが出来ました・・・・」
 高田は、まるで畳みに頭をこすりつけるように土下座をしている。金田が満足そうに頷きながら。
 「全国の自治体に、最低3台ずつの納入だからな・・・・しかし、大橋も、なかなかやるのう・・・3万円と言ったのに、5万円もかけおったわ・・・・」
 金田が、喉の奥で低く笑った。早田は、顔に嫌悪感を浮かべながら、それを見つめていた。高田が頷く。
 「先生には、後程きちんと、御礼をさせていただきます」
 高田が金田に向かってペコペコと頭を下げているのを見ているうちに、早田は、我慢できないと言うように膳を押しのけて、金田の前に進み出た。金田が、冷たい視線を早田に向けた。
 「・・・・なんだ・・・・無粋じゃな・・・・」
 冷え切った声で金田が言うと、
 「先生・・・・”性別税”は、悪税です・・・・この国に災いをもたらすことになりかねません!」
 金田が顔をしかめる。高田が、困惑した顔で早田を見つめながら、
 「早田先生・・・・この場で、そのようなことを申されなくても・・・・」
 笑いながら早田に言った。しかし、早田の視線は金田にしっかりと向けられたままだ。
 「・・・国民は、既に高税率で、家計は破綻寸前です。とても、年間60万円の増税には耐え切れません!」
 「黙れ!!」
 早田の声に被せるように、金田の年老いた怒鳴り声が響く。
 「おまえは、この国が滅びて良いと思うのか?! 税金を上げなければ、この国は・・・」
 「削るところは、もっと他にあります。政府と官僚達の意識改革こそが先決です。そうでなければ、増税してもその金は・・・・それだけじゃない・・・・・」
 これは、金田にとって触れられたくない部分だった・・・・“削れるところ”・・・それは、そのまま金田にとっての票田や利権に直結しているのだ。そして、それは金田の怒りに直結した。
 「黙れ!! そんなことをすれば、ゼネコンや銀行・・・・この国の産業はどうなるんだ!」
 金田が、額に青筋を浮かべながら怒鳴った・・・・肩で息をしながら早田を睨みつけている。じっと金田を見つめる早田。興奮した金田の荒い息遣いが座敷に響く。やがて、金田が静かに言った。
 「・・・・おまえは・・・・もういい・・・・・帰ってくれ・・・・・」
 冷たい空気が座敷に漂っている。やがて、早田は深々と一礼すると、静かに座敷を出ていった・・・・。



 会社での勤務が終わり、僕は会社を出ると、繁華街を歩いて駅に向かった。街を行き交う人たちには、どこか活力が感じられない・・・・特に、男性・・・若者も、年をとった人も、それは同じだった。かつて見られた、サラリーマン達が居酒屋で一杯飲んで帰るような光景は、今ではもう見られない。誰もが、仕事が終われば、さっさと家路を急ぐ。しかし今日は、その足取りが重い・・・・。電車に乗ると、その傾向は特にはっきりしていた。電車の中の乗客達がする会話も、大橋総理の発表した増税への批判だった。
 「全く・・・・何を考えているんだ・・・・」
 「・・・うちなんか、家族4人・・・息子と娘を抱えて大変なのに・・・・」
 「息子と娘? それなら、おまえの家は、月に12万円の支払いか・・・・」
 「・・・・まったく・・・・とんでもない話だよ・・・・もう、自殺して、楽になりたいよ・・・」
 「自殺するくらいなら・・・・まだ、女になった方が楽かもしれないよ・・・・・」
 「しかしなあ・・・・」
 話を聞きながら、僕は思わずため息をついてしまった。窓の外に流れる、夜の街の灯りも、僕の目には入らない。今、この車内で話されていることは、そっくりそのまま僕にもあてはまるのだ。電車が駅に着いた。僕は、押し出されるようにホームに降りると、改札口を出て自宅に向かった。
 夜の道を、自宅に向かう。電柱に付けられている街灯が夜道を照らしている。しかし、以前はたくさんの家が点けていた門灯は、今ではほとんどの家が、夜でも点けていることはない。電気代を少しでも節約するために、点けなくなってしまったのだ・・・・。それは、そのまま町の雰囲気を暗くしていく。そして、それはこの町だけのことではない。この国全体が、暗い雰囲気になっていきつつある。
 僕は、門を開けると玄関の前に立った。玄関のドアをゆっくり開けた。
 「ただいま・・・・」
 「ああ・・・・・お帰り!」
 母が玄関に僕を迎えに来た。僕は、会社を定年退職した父と、母の3人暮らし。最近は、早く孫の顔を見せろと、うるさく言われている。
 「・・・今日も、なかなか忙しかったよ・・・・」
 僕は、靴を脱ぎながら母に言った。靴を脱いで母の顔を見上げると、母は目に涙を浮かべながら僕の顔を見下ろしている。
 「・・・・なにか・・・・あったの・・・・?」
 僕は、感情を押し殺して尋ねた。母は、指で涙を拭いながら、
 「・・・お父さんが・・・・おまえに話があるらしいよ・・・」
 そう言うと、僕に背を向けて茶の間に向かって歩いて行く。僕は、かばんを持つと、母の後から茶の間に入った。
 「どうしたんだよ・・・」
 僕は茶の間に入ると、コタツの中で座っている父に視線をやった。父は、コタツの上に置かれた湯呑からお茶を飲んでいた。
 「帰ったか・・・・」
 父が、上目遣いに僕の顔をギロリと睨んだ・・・・しかし、その表情には、いつもと違ってどこか影がある。
 「・・・・そこに・・・座れ・・・・」
 父が、コタツの向かい側に座るように指し示した。僕は、父と向かい合う形で座った。父は、僕の顔をじっと見つめている。じれったくなった僕は、
 「どうしたんだよ・・・・父さん!」
 「うむ・・・・」
 父は、ため息をつくと、僕の後ろに立つ母の方を見て、
 「・・・おまえも座れ・・・・」
 母が、コタツに入るのを見届けると、
 「・・・おまえも、今日あった総理大臣の記者会見は・・・見たな・・・・」
 父の言葉に、僕は黙って頷く。
 「・・・実はな・・・うちの家計は、今はわしらの年金と、おまえの収入でやっているが、もう、火の車なんだ・・・・」
 父の顔が、苦しそうにゆがむ。
 「・・・その上、今度は増税だ・・・3人家族で、月に11万円・・・食費や光熱費、必要なお金を考えると、もう、払うことは出来ないんだ・・・・」
 僕は、その後にどんな言葉が来るのか・・・・背筋に冷たいものを感じながら、苦渋に満ちた父の表情を見つめていた。
 「・・・・おまえに・・・・女になって欲しいんだ・・・・」
 僕は、その瞬間・・・・頭が真っ白になった・・・・。
 「ウウッ・・・・」
 母が、ハンカチを顔に当てながら嗚咽を漏らした。父の目にも、涙が浮かんでいる。それを見て僕は、なにも言えなくなった・・・・。
 「・・・・女になっても・・・・おまえはおまえだ・・・わし達の子供には・・・・変わりはない・・・・」
 父は、そう言うと、しばらく絶句をしてしまった・・・いろいろな思い出が、脳裏をよぎっているのだろうか?
 「・・・・分かってくれ・・・・・」
 父が苦しそうな表情で僕を見つめている。僕は、頭が真っ白になって何も答えることが出来ない。重苦しい沈黙が、3人の上に圧し掛かっていった・・・。



 深夜

 僕は、ベッドの上で眠ろうとしていた。しかし、いろいろな思いが頭をよぎり目が冴えてまったく眠ることが出来ない。
 「・・・・なんてこった・・・・・」
 真っ暗な部屋の中で、天井を見つめながら呟く。生まれて今まで23年間、当然のように男として生きてきた。大袈裟に言えば、男であること、女であることは神によって定められて、人間の力では、どうにもならないと考えられていた。それが、人間の力で男を女にするという・・・・しかも、税金を払うのが無理ならば・・・・と言う理由で・・・・。
 「フ〜〜〜〜ッ・・・・」
 大きなため息をついた。本当に僕は、女にならなければいけないのか・・・・その思いが頭の中を駆け巡る。外から、すずめの鳴き声が聞こえている。窓から差し込む朝のひかりが、部屋を明るく照らし始めた。新聞配達のスクーターのエンジン音が響く。時計を見ると、僕は起きあがって部屋を出ていった・・・・いつもと変わらない朝が始まった。



 朝

 僕は、いつものように駅に向かった。プラットホームに立つと、いつもの電車を待っていた。しかし、なぜだろう・・・・同じ時間なのに、プラットホームに立つ人が、いつもより少なく感じられた。
 「3番線に、中央特快が入ります!」
 アナウンスと同時に、オレンジ色の電車が駅に入ってきた。電車が止まりドアが開くと、電車はプラットホームにあふれた人を飲み込んでいく。僕は、電車に乗ってからも違和感を感じていた。電車の中には、隙間が目立つ。
 やがて、電車が駅に着いた。ドアが開き、満員の乗客をホームに吐き出す。狭い階段を、たくさんの乗客が改札口に向かって歩いて行く。しかし、いつもはともすれば前を歩いている人を、うっかり突き飛ばしてしまいそうになるのに、今日は余裕がある。
 「・・・平日なのに・・・・どうしたんだろう?」
 薄気味悪さを感じながら、僕は駅を出ると繁華街を会社に向かった。会社に着くと、
 「おはようございます!」
 いつものように受付の女の子が、さわやかな笑顔を振り撒きながら、元気に挨拶をしてくれる。
 「やあ・・・・・おはよう!」
 僕も、挨拶をしてオフィスに向かった。
 総務部の部屋のドアを開け、オフィスに入ると・・・・。
 「・・・?」
 僕は、思わず部屋の隅々まで見まわした。オフィスの中には、いつもの半分しかスタッフがいない。女性スタッフの姿が、やけに目立つ。
 「・・・・どうなっているんだ?」
 「今日は・・・・休みの方が多いんです・・・・」
 来栖さんが、大きな瞳をクリクリさせながら言った。
 「ちょっと・・・」
 川村さんが、来栖さんの体を肘で突付いた。
 「・・・・どうした? 何かあったの?」
 僕は、アタッシュケースを机の上に置きながら二人を見つめた。来栖さんも、川村さんも、困惑した表情でお互いを見つめていた。やがて・・・。
 「・・・・今日休んでいる人達・・・みんな、あの税金が払えないから・・・」
 来栖さんの大きな瞳が潤んでいる。
 「・・・・国に・・・・女性化を申請するって・・・・」
 川村さんが、顔を覆って泣き出した。来栖さんも肩を震わせている。僕も、あまりの事にどう答えて良いか分からなかった。来栖さんが、涙に濡れた顔を上げた。
 「・・・お昼休みにも・・・・何人かの人が・・・・申請に行くって・・・・」
 僕は、ハッとして二人を見つめた。
 「そういえば・・・・田代は?!」
 二人は顔を見合わせた。川村さんが、僕の顔を見ると首を振った。
 「・・・・田代さんも・・・・」
 来栖さんが泣き出した。しゃくりあげる声がオフィスに響く。
 「なぜ・・・・なぜ、こんなことになるんですか? みんなが女性になってしまうなんて・・・・田代さんが、女の子になっちゃったら、わたし達は誰と喧嘩すればいいんですか?!」
 僕は、何もいえなかった・・・ただ、涙を流しつづける二人を見つめているだけだった・・・・だって、僕だって申請にいかなければいけないのだから・・・・。



 会社帰り、僕は役所に立ち寄った。入り口には、若者から中年まで・・・いろいろな世代の男達が立っている。誰にも共通しているのは、一様に暗い表情をしていることだ。僕も、仕方なく、その列に加わった。受付を待つ列は長い。複雑な気持ちで列に並んでいると、
 「あら・・・・・」
 誰かが僕の肩を叩いた。驚いて顔を上げると、僕とそう年の変わらない見知らぬ女の子がニコニコ可愛らしい笑みを浮かべながら立っていた。しかし・・・・・見覚えがない。
 「・・・・・」
 「どうしたのよ・・・・・そんなにびっくりした顔をして・・・・」
 女の子が僕の顔を覗きこみながらクスクスと笑っていた。
 「・・・君は・・・・誰?」
 「わたしが、分からないの?」
 彼女が悪戯っぽく微笑んだ。呆気にとられている僕に向かって、
 「・・・・また・・・・後でね!」
 彼女は僕に背を向けて歩いて行く。僕は黙って、その後姿を見送った・・・・。

 「ハイ・・・・では、こちらの書類ですが・・・・」
 窓口に行くと、メガネをかけた中年の女性職員が、カウンターの上に分厚い書類を置いて説明を始めた。
 「こちらの冊子に、今回の特別措置についての説明が書かれています・・・・必ず、目を通してください・・・・そして、こちらにはんこを・・・」
 事務的に話すおばさんの説明を、僕はろくに聞いていなかった。23年間男だった僕が、女になる・・・・いまだに実感は沸かなかった。
 「今日は、希望者が多くて・・・・すいませんが、明日の午後にもう一度おこし下さい」
 おばさんに言われて、僕は椅子から立ち上がった。入り口に向かって歩き出すと、おばさんの声が後ろから聞こえた。
 「・・・せいぜい、男としての最後の夜を楽しんでください!」
 僕は困惑したまま、役所を後にした。


 



税制改革 (前篇)

おわり






この作品に登場する団体・個人、事件や政策などは実在のものとは一切関係のない事をお断りしておきます。





2010年9月

逃げ馬








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